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Dr.中川のがんから死生をみつめる:/90 間寛平さんの挑戦と治療

中川先生のコラムです。

間寛平さんの前立腺がんの治療について説明してくれています。

やさしい放射線治療もあるんですね。

Dr.中川のがんから死生をみつめる:/90 間寛平さんの挑戦と治療

<以下、記事の引用です>

Dr.中川のがんから死生をみつめる:/90 間寛平さんの挑戦と治療

 昨年8月、食道がんの手術を受けたサザンオールスターズの桑田佳祐さん(54)が、年末の紅白歌合戦で元気な姿を見せてくれました。少しやせてはいましたが、以前と変わらない歌声に、ファンの一人として、とてもうれしく思いました。

 もう一人、この年末年始に活躍が注目された、がん患者がいます。前立腺がんを告白しながら、マラソンとヨットで地球を一周する「アースマラソン」に挑戦しているタレントの間寛平さん(61)です。寛平さんは今月4日、ヨットで福岡に「上陸」しました。

 08年12月、大阪を出発した寛平さんは、千葉・鴨川から太平洋を横断し、北米大陸を走破した後、大西洋を渡ってフランスに入り、ベルギー、オランダ、ドイツ、ブルガリア、トルコ、イラン、トルクメニスタン、カザフスタン、中国など計18カ国を走り抜きました。ところが、昨年初め、トルコで受けた検査で、前立腺がんと診断されたのです。それにもかかわらず、寛平さんは男性ホルモンを抑える注射を打ちながら、アースマラソンを続けました。

 そんな寛平さんも、いったんはマラソンを休止し、米国・サンフランシスコに渡って放射線治療を受けました。外部照射を5週間受けた後、前立腺内に放射線を放出するアイソトープを送り込む「組織内照射」をし、昨年6月に退院しました。将棋の米長邦雄永世棋聖も同じ治療を受けて治癒しています。寛平さんは、退院後2週間で中央アジアのトルクメニスタンに戻り、マラソンを再開しました。

 がんになったら「静かに養生するのが一番」と考える人が多いと思いますが、骨への転移で骨折する危険がある場合を除き、実は、生活上の制限はほとんどありません。むしろ、再発を予防するためにも「適度の運動」が勧められます。また、放射線治療というと、副作用が多いように思われていますが、「マラソンとの両立」が可能なほど身体に優しい治療なのです。

 寛平さんはいよいよ、今月21日に大阪でゴールを迎えます。寛平さん、本当にご苦労さまでした。完走後は、ゆっくり休んでください。(中川恵一・東京大付属病院准教授・緩和ケア診療部長)


世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ)

昨日のテレビはすごかったですね。

大々的にゴールデンタイムに中継をしていてびっくりしました。

しかしすごい偉業を達成したものです。

健康体でもできないことを病気を治療しながら続けられる気力!

恐れ入ります!!

かんぺいさんのこれからの活躍を応援したいと思います。


世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ)

<以下、記事の引用です>

世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ) 2011.1.22 05:07操作メニューをスキップして本文へ 印刷する

前立腺がんを乗り越え、2年1カ月をかけて地球1周を成し遂げた間寛平(左)。ゴールの瞬間、妻の光代さんと抱き合った=大阪市中央区【フォト】
 走りながら涙が止まらなかった。懐かしいNGKが見えてきた。2年1カ月前に駆けた客席を走り抜ける。客席には光代さん、母の美稲子さん(81)、2人の孫ら家族も待っていた。
 午後8時41分、明石家さんま(55)らが持つゴールテープを切り、ついに地球一周。泣きじゃくり、声にならなかったが、ようやく「ありがと~!」と叫び、「パパパ、パンプキン!」。お礼のギャグで笑わせた。
 さんまが「奥さん、はよ抱きつきなはれ」と光代さんを呼び込むと、なんと、さんまに抱きつくボケ。照れ隠しか、お互いにボケながら、ついに抱き合い、「本当、ありがとうな。苦労をかけました」。2人の目に涙があふれた。
 09年1月15日、太平洋で迎えた光代さんの誕生日。「会いたい…」ともらし、泣いた。帰りたい。でも、帰るわけにはいかない。光代さんと再会するには前へ進むしかなかった。
 3月10日、米ロサンゼルスで光代さんは出迎えてくれた。それから8回も応援に駆け付け、励ましてくれた。光代さんの笑顔に足の痛みも忘れることができた。
 今年1月15日の誕生日は、光代さんも合流した岡山で迎えた。だが、プレゼントを贈る余裕はなかった。「ゴールしてから、ちゃんと3回分、プレゼントするわ」と約束。妻は「チュ~を3回でええよ」と笑った。
 06年3月、突然、頭の中に「世界1周走る!」と“降りてきて”以来、一周しなければ死ねないとまで思い詰めた。挑戦を決めたとき、光代さんには「命をかける」と言い切った。
 10年1月、トルコで前立腺がんが発覚。「どうせ死ぬんやったら、わし、走りながら死にたいわ」。ホルモン治療を受けながら走り続けた。
 4月にマラソンを一時中断。米サンフランシスコで放射線治療を受ける間、光代さんはアパートを借り、手作りの料理で献身的に支えてくれた。 2年余りの間、夫婦の距離は遠く離れていた。だが、その旅は間違いなく二人三脚だった。
 「ずっとほったらかしにしてきたから、ガレージの掃除もせなならん。何でもします。ガラスもふきます。風呂も洗います」。愛する家族へ2年分の恩返しが始まる。
 

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フコイダンがなぜ癌に効くのでしょうか。フコイダンの本当の真の力を調べてみたいと思います。またがんの最前線のニュースや情報も収集していきたいと思います。


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