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つかこうへいさん、元日に遺書書いていた

つかこうへいさん、元日に遺書書いていた

つかこうへいさんの訃報のニュース記事です。

前回のものよりも詳しく書いてありますのでチェックしてみました。

62歳、まだまだ若いのに残念です。

つかこうへいさん、元日に遺書書いていた

<以下、記事の引用です>


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07年8月 舞台「売春捜査官2007」の会見。左は黒谷友香
 戦後の演劇界を代表する人気劇作家で直木賞作家のつかこうへいさん(本名・金峰雄=キム・ボンウン)が10日午前、肺がんのため千葉県鴨川市の病院で亡くなった。62歳。今年1月25日に肺がんを公表し抗がん剤治療を受けていた。「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などヒット舞台を連発し、風間杜夫、平田満、阿部寛ら数多くの俳優を育てた。つかさんの遺志で密葬を済ませたが、がん公表前の1月1日に「娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」と遺言していた。

 つかさんは死を覚悟していた。昨夏に体調を崩し、精密検査の結果、9月に肺がんと告知されて都内の病院に入院。抗がん剤治療を受けながら、11月には作・演出する今年2月の新橋演舞場「飛龍伝2010」主演の黒木メイサ、徳重聡のけいこを撮影したビデオを病室に持ち込んでチェックし、病床からダメ出しを行った。その後、終末医療で知られる千葉県鴨川市の亀田総合病院に転院。年末に一時退院したが、その時には死を受け入れ今年1月1日に遺言を書いていた。

 容体が悪化しつつあった4月上旬、マネジャーに亡くなったら開けるように封筒を渡していたもので、この日になって開封、遺族の了承を得て公開した。つかさんは「思えば恥の多い人生でございました。(中略)しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」ときれいに自らの人生に幕を引いた。

 遺言を書いた直後の1月6日、けいこ場に現れた。副作用で髪の毛が抜けて帽子姿だったが、大きな声で指示を出した。けいこは6日間続き、中旬に体調が悪化し再入院した。初日前のけいこにも来る予定だったが、ドクターストップで断念。最後まで舞台復帰に執念を燃やした。その後も抗がん治療を受けながら関係者と電話やメールで連絡を取ったが、6月に体調が悪化し、返信が途絶えた。7月に入って危篤状態となり、10日午前10時55分、妻直子さんら家族にみとられて息を引き取った。長女の宝塚歌劇団雪組娘役トップスター愛原実花さんは退団公演中(宝塚大劇場)で最期に立ち会えなかった。

 つかさんは在日韓国人2世として生まれ、慶大在学中に劇団「暫」に参加。「熱海殺人事件」「郵便屋さんちょっと」を発表し人気劇作家になった。25歳だった73年、「熱海-」で岸田戯曲賞を受賞し、74年に劇団「つかこうへい事務所」を結成。紀伊国屋ホールを拠点につかブームを巻き起こし「初級革命講座飛龍伝」「ストリッパー物語」「いつも心に太陽を」などヒット舞台を連発。82年に「蒲田行進曲」で戦後生まれとして初めて直木賞を受賞した。

 82年に劇団つかこうへい事務所を解散し小説執筆に専念した。85年に韓国ソウルの「熱海-」上演を経て、89年に演劇活動を再開。94年に自治体の協力で「北区つかこうへい劇団」、96年「大分つかこうへい劇団」を設立し、すそ野拡大に尽力した。つか門下生は数多く、初期の三浦洋一さん、平田満、風間杜夫、加藤健一、かとうかず子のほか、再開後は牧瀬里穂、石田ひかり、富田靖子、広末涼子、筧利夫、小西真奈美、阿部寛、錦織一清、草■剛、石原良純、内田有紀、黒木メイサ、黒谷友香が指導を受けた。

 私生活では80年に女優熊谷真実と結婚したが、82年に離婚。83年に元女優の生駒直子さんと再婚し、日本国籍を取得せず夫婦別姓だった。07年に紫綬褒章を受けた。20年ほど前に事故でむち打ち損傷となって自律神経失調症に苦しんだ時期があり、ここ数年は糖尿病の治療も受けていた。

※■は弓ヘンに前の旧字体その下に刀

 [2010年7月13日9時18分 紙面から]ソーシャルブックマーク

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