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「芳雄さん、ありがとう」阪本順治監督が弔辞


「芳雄さん、ありがとう」阪本順治監督が弔辞

俳優の原田芳雄さんが亡くなられました。

上行結腸がんから併発した肺炎のため71歳での他界となりました。

最後まで映画に関わり、ついこの間のニュースにも出ていたのに非常に残念です。

亡くなる寸前まで好きな映画にかかわることができたことは

幸せな人生であったかと思われます。

自分も好きな仕事にかかわりながら最後を迎えられたらいいかな!

と考えさせられました。

ご冥福をお祈りさせていただきます。


「芳雄さん、ありがとう」阪本順治監督が弔辞


<以下、記事の引用です>

「芳雄さん、ありがとう」阪本順治監督が弔辞

【拡大写真はコチラ】
 一面の花に囲まれた原田芳雄さんの遺影=東京・青山葬儀所(撮影・出月俊成)
 19日に上行結腸がんから併発した肺炎のために71歳で亡くなった俳優・原田芳雄さんの通夜が21日、東京・港区の青山葬儀所で営まれた。会場には遺作となった映画「大鹿村騒動記」でメガホンを取った阪本順治監督(52)、桃井かおり(60)、佐藤浩市(50)、石橋蓮司(69)ら原田さんを慕って集まった“芳雄会”の面々1200人が集結。阪本監督は弔辞を読み、「芳雄さんありがとう。もうクランクアップです」と悲しみに声を詰まらせながらあいさつし、参列者の涙を誘った。

  ◇  ◇

 弔辞を読む阪本監督の声が涙に震えた。遺影を前に、原田さんの遺作「大鹿村‐」を撮った日々がよみがえる。構想を練って語り合った日々がよみがえる。

 阪本監督はとぎれとぎれに言葉を絞り出し、原田さんが余命を知りながらも「大鹿村‐」の撮影に臨んでいたことを明かした。「演出するのがつらかった。痛みに顔をゆがめて『いやんなっちゃうよ』と言いながら耐えに耐えた芳雄さん。もう、クランクアップです。カットの声はぼくたちがかけます」と声を詰まらせた。

 弔辞を依頼されたときは悲しみが深く、何から切り出せばいいのか言葉が思い浮かばなかった。映画界の父と慕っていた存在。「いっぱい遊んでくれてありがとう。ぼくもいやになっちゃいました…」と途方に暮れた。

 通夜にはほかにも同映画で共演した大楠道代(65)、映画「父と暮せば」(06年)で共演した宮沢りえ(38)ら多くの仲間が集った。

 多くの映画に出演した原田さんにふさわしく、祭壇は映画のスクリーンをイメージ。バラやカーネーションなど約6千本の白い花で作られた。遺影は09年春に映画「ウルトラミラクルラブストーリー」のPR用に撮影したもので、ニヒルな表情は原田さんのお気に入りだったという。

 会場には08年2月29日の誕生日ライブで本人が歌った「蒼い影」など5曲が流れていた。

 酒好きだった原田さんのために、ひつぎの上にはバーボンの「I.W.HARPER」そっくりのロゴで「I.W.HARADA」と書かれた飲みかけのボトルが置かれていた。数年前の誕生日に長男でミュージシャンの原田喧太(41)が贈った。息子からのプレゼントに手を付けることができなかったのか、原田さんが飲むことはなく、亡くなった夜に仲間たちが枕元で開封した。

 この夜、参列した映画仲間たちは献花に替えて献杯で故人をしのんだ。原田さんが天国で「I.W.HARADA」を飲みながら安らかな眠りにつくことを祈って。

(2011年7月22日)

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