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世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ)


世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ)

昨日のテレビはすごかったですね。

大々的にゴールデンタイムに中継をしていてびっくりしました。

しかしすごい偉業を達成したものです。

健康体でもできないことを病気を治療しながら続けられる気力!

恐れ入ります!!

かんぺいさんのこれからの活躍を応援したいと思います。


世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ)

<以下、記事の引用です>

世界が感動!寛平、がん乗り越え地球完走 (2/2ページ) 2011.1.22 05:07操作メニューをスキップして本文へ 印刷する

前立腺がんを乗り越え、2年1カ月をかけて地球1周を成し遂げた間寛平(左)。ゴールの瞬間、妻の光代さんと抱き合った=大阪市中央区【フォト】
 走りながら涙が止まらなかった。懐かしいNGKが見えてきた。2年1カ月前に駆けた客席を走り抜ける。客席には光代さん、母の美稲子さん(81)、2人の孫ら家族も待っていた。
 午後8時41分、明石家さんま(55)らが持つゴールテープを切り、ついに地球一周。泣きじゃくり、声にならなかったが、ようやく「ありがと~!」と叫び、「パパパ、パンプキン!」。お礼のギャグで笑わせた。
 さんまが「奥さん、はよ抱きつきなはれ」と光代さんを呼び込むと、なんと、さんまに抱きつくボケ。照れ隠しか、お互いにボケながら、ついに抱き合い、「本当、ありがとうな。苦労をかけました」。2人の目に涙があふれた。
 09年1月15日、太平洋で迎えた光代さんの誕生日。「会いたい…」ともらし、泣いた。帰りたい。でも、帰るわけにはいかない。光代さんと再会するには前へ進むしかなかった。
 3月10日、米ロサンゼルスで光代さんは出迎えてくれた。それから8回も応援に駆け付け、励ましてくれた。光代さんの笑顔に足の痛みも忘れることができた。
 今年1月15日の誕生日は、光代さんも合流した岡山で迎えた。だが、プレゼントを贈る余裕はなかった。「ゴールしてから、ちゃんと3回分、プレゼントするわ」と約束。妻は「チュ~を3回でええよ」と笑った。
 06年3月、突然、頭の中に「世界1周走る!」と“降りてきて”以来、一周しなければ死ねないとまで思い詰めた。挑戦を決めたとき、光代さんには「命をかける」と言い切った。
 10年1月、トルコで前立腺がんが発覚。「どうせ死ぬんやったら、わし、走りながら死にたいわ」。ホルモン治療を受けながら走り続けた。
 4月にマラソンを一時中断。米サンフランシスコで放射線治療を受ける間、光代さんはアパートを借り、手作りの料理で献身的に支えてくれた。 2年余りの間、夫婦の距離は遠く離れていた。だが、その旅は間違いなく二人三脚だった。
 「ずっとほったらかしにしてきたから、ガレージの掃除もせなならん。何でもします。ガラスもふきます。風呂も洗います」。愛する家族へ2年分の恩返しが始まる。
 

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