Top >  がんの予防と治療-最新情報 >  死は敗北ではない

スポンサードリンク

死は敗北ではない


死は敗北ではない

死は敗北ではない!

確かにそう思いたいと希望しています。

それには人生をどのように締めて終われるかが問題。

常日頃から人生の最後を考えて生きていくことが大事かもしれません!

死は敗北ではない!いい言葉ですね!

告知“しない”ことに違和感 死は敗北ではない がん医療:過去から未来へ

<以下、記事の引用です>


告知“しない”ことに違和感 死は敗北ではない がん医療:過去から未来へ(下) (1/2ページ)
2012.8.26 19:00

【拡大】
 病気は生そのもの

 --がん研病院の先生方には、30年前から弊紙の「がん電話相談」の回答で協力していただいています。当時は告知も一般的でなかった時代ですね

 門田 なかった。30年前というと、私が米国から大阪大学に帰った頃です。当時、がん治療で一番違和感があったのは、告知の遅れでした。主治医も家族も病気を知っているのに、患者だけが知らないのは論外です。医者だから、そう思うのかもしれないが、自分の病気の治療方針や運命が、自分以外のところで決まるのはナンセンスだと思った。自分の生き死にに納得し、覚悟もし、選択もする、そのくらいの権利はあって当たり前ではないかと。だから、僕は早い時期から告知派でした。

 ただ、そもそも告知という言葉には違和感がある。例えば患者さんが「胃の調子が悪い」と来院する。30年前でも、がんだったら困るな、と思って来る。「じゃあ、胃のエックス線検査をしましょう」となる。で、結果が出て「うーん、ここにおかしな影がありますね」と。患者さんは「やっぱり、何かあるのかな」と思う。で、私は「じゃあ、胃カメラで調べましょう」となる。で、その次には「やっぱり何かあるから、組織診断をしましょう」と。結果が出ると、患者さんは「どうでした?」と聞く。「うん、どうも悪性の細胞が出てきたよ」と説明する。そこで「違う」と言うと、嘘になる。医者が相手の立場を思い、患者と一緒に「どうしようか」と考えながら進んでいくと、どこに「告知」という言葉にあたる場面があるのか。当時から、そういう解釈、そういうスタイルで今日までやってきました

--30年たち、告知はあたり前になりましたが、今、再び告知のあり方や、情報提供、相談事業のあり方が問われています

 門田 告知も、情報提供や相談事業も、解決のあり方は同じ。医者と患者が同じ人間同士として寄り添い、一緒にどう生きるかを考え、どう死ぬかを考えることだと思います。病気は生きることそのもの。治るケースばかりではないけれど、死は敗北ではない。今は、死が敗北であるかのごとく言われているけれど、自分の生の完成であり、上手に生を全うすることが一番大切。社会全体でその哲学ができて、共有できるようにすることが最終目標で、自分でも、そういう生き方をしていくということではないかと思います。(佐藤好美)

スポンサードリンク

 <  前の記事 胆肝がんとは?  |  トップページ  |  次の記事 抗がん剤は寿命を縮める!  > 

         
このページについて

このページは「がん治療最前線!フコイダンの真の力」の記事のひとつです。

他にも多くの記事があります。トップページサイトマップもご覧ください。

スポンサードリンク

更新履歴