Top >  がんの予防と治療-最新情報 >  ステージ4 がんと生きる 池田省三 <手術>3週間ぶり喜びの味

スポンサードリンク

ステージ4 がんと生きる 池田省三 <手術>3週間ぶり喜びの味


ステージ4 がんと生きる 池田省三 <手術>3週間ぶり喜びの味

池田省三さんのコラムです。

手術の様子を書いてくれていますので、

大変参考になりますね。

大腸がん!

痔持ちには要注意です!

ステージ4 がんと生きる 池田省三 <手術>3週間ぶり喜びの味

<以下、記事の引用です>

ステージ4 がんと生きる 池田省三 <手術>3週間ぶり喜びの味 2012年5月26日

 忘れもしない、二〇一〇年十一月一日だった。CT(コンピューター断層撮影装置)で、遠隔転移のある末期がん、ステージ4の大腸がんと分かった。
 主治医に、「余命はどれぐらいか」と聞くと、「それどころじゃない。手術が先」と、即座に四日後の手術が決まった。人工肛門を付ける可能性が高いと言われて、「嫌だなぁ」と漏らしたら、「そんなこと言っている場合じゃない」と一喝された。ごもっともである。
 大腸がんの予感はあり、何の感傷もなく告知を受けとめた。だが、不思議だったのは、入院が決まると、歩けるのに車いすに座らされ、私の意識は急に患者モードとなったことだ。まさに「まな板のコイ」の気分だった。
 それからは、腸を空っぽにするために絶食。口にできるのは水とお茶だけで、栄養補給は左腕の点滴から。それでも、空腹感は全くない。
 病室は個室。小さな窓から眼下に、市街地を流れる川が見えた。ひたすら手術を待つばかり。専門書は面白くないので読む気にならず、歴史物やミステリーなどの本を一日三、四冊乱読。次第に「早く切ってくれ」という思いが強くなった。
 手術当日、ストレッチャーで手術室へ。全身麻酔を受けた知り合いから「五百ぐらいまで数えたところで意識がなくなった」と聞いていた。「酒好きの俺は、八百ぐらいまで数えないといけないかな」と思っていた。ところが、「麻酔をかけますね」と言われ、「一」と数える間もなく、ストンと意識が落ちた。
 おへそを避けて縦に二十センチ近く切る開腹手術。四時間の予定が六時間かかった。麻酔からは、もうろうとしながら覚めるのではなく、パッと覚めた。意外にも気分は爽快。ペインコントロールが効いて、痛みは全くなかった。ところで、当たり前だが、麻酔にかかった午前十時ごろから記憶がない。午後四時ぐらいなのだが、今、何時か時間の感覚が狂ってしまった。
 主治医の第一声は、「成功しました。人工肛門は付けなくて大丈夫でした」。大腸は、肛門に近い部分から直腸、S状結腸、下行結腸、横行結腸-と七つに分けられる=イラスト。このうち、直腸とS状結腸が患部になることが多い。私の場合は、S状結腸で肛門は温存できた。ホッとした。
 だが、ステージ4。私の親族は、主治医から術後に、「合併症があれば三カ月、抗がん剤が効かなければ六カ月、効いても一年」と余命の宣告を受けていた。
 それでも、手術からは順調に回復した。術後、三、四日で、点滴の管を付けたまま病室前の廊下を歩かされた。ヨタヨタというわけではなかったが、久しぶりに歩いたので最初は四十メートルぐらいでへたった。
 依然、栄養補給は点滴のみ。それでも、液状の便が少し出る。術後、初めての便も三、四日後。切った腸がつながったことを確認できて、やはりうれしかった。しばらくして、パソコンを持ち込み、看護師の専門誌に連載している記事を書き始めた。
 手術が決まり、絶食が始まってから三週間ほど。食事が病室に届いた。といっても、水っぽいおかゆ。病院食だから仕方ないが、味は薄く、文字通り味気ない。
 もともと、食い意地は張っているので、食事が取れるようになったことは喜びではあったが、「まずい」とつぶやきながらスプーンですすった。
 入院からほぼ一カ月。快晴の下、タクシーで自宅に戻った。入院前から何も変わっていないリビングの椅子に腰かけ、思い出したのは、あのおかゆの味だった。 (構成・鈴木伸幸)


スポンサードリンク

 <  前の記事 なかにし礼氏闘病語る がん切除せずに治療  |  トップページ  |  次の記事 尾崎紀世彦さん死去  > 

         
このページについて

このページは「がん治療最前線!フコイダンの真の力」の記事のひとつです。

他にも多くの記事があります。トップページサイトマップもご覧ください。

スポンサードリンク

更新履歴